交通事故で入院|救急搬送から大手術までの体験
事故現場から病院へ運ばれるまで、記憶がはっきりしない部分がある。
覚えているのは、車との衝突、道路に投げ出されたこと、そして雨の降るアスファルトの上で、動かない足を震える手で押さえていたことだった。
あの事故から、私の長い入院生活が始まった。
手は動いた。でも、足が動かなかった
病院で応急処置を受け、ベッドに横たわっていた。
ふと、自分の手を見た。
指を動かしてみる。
動いた。
それだけで、少しほっとした。
次に足を動かそうとした。
しかし、動かなかった。
ひどい痛みもあった。
自分の身体に何が起きているのか、まだ理解できていなかった。
そんなとき、看護師が声をかけてくれた。
「よかったね。ここ何処か分かる?」
そして、命が助かってよかった、亡くなっていてもおかしくないほどの事故だったと伝えてくれた。
私は、それまで足のことばかり考えていた。
その言葉を聞いて初めて、自分が命を落としていたかもしれない事故に遭ったのだと感じた。
妻の「どうしよう……?」
その後、妻と弟が病院に来てくれた。
妻の口から出たのは、
「どうしよう……?」
という言葉だった。
当時、私たちには幼い子どもが二人いた。住宅ローンもあった。
私は建築の仕事を辞め、整骨院でアルバイトをしながら夜間の専門学校に通い、ようやく鍼灸師の国家試験に合格したところだった。
これから新しい仕事を始めようとしていた矢先の事故だった。
身体は元に戻るのか。
仕事はできるのか。
家族の生活はどうなるのか。
妻の問いに、私は何も答えられなかった。
自分自身、これからどうなるのか分からなかったからだ。
ベッドの上が、ほぼ拷問だった
救命救急の病院で、私の膝にはワイヤーが通された。
そこに金具が取り付けられ、錘で脚を牽引する処置を受けていた。
点滴、酸素、導尿の管なども付いていた。
上半身も動かしてはいけない。
頭を左右に向ける程度しか動けなかった。
寝返りを打つこともできない。
背中が汗だらけになっても、身体を浮かせることさえできない。
ただベッドに横たわっているだけなのに、それ自体が苦痛だった。
何もしなくていいのではない。何もできないのだ。
事故前には当たり前だった、身体を少し動かすという自由。
それが、どれほど大きなものだったのかを思い知らされた。
3日後、別の病院へ転院した
救命救急の病院には、約3日間入院した。
その後、自宅に近い急性期病院へ転院することになった。
家族が通いやすいことに加え、救命救急の病院では次々と重症患者を受け入れる必要があるという事情もあった。
しかし、病院が変わっても、身体の状態は変わらなかった。
膝のワイヤーも、錘による牽引も続いた。
手術までは、さらに約1週間。
事故から手術まで、およそ10日間、私は身体を自由に動かせない状態で過ごした。
医師から説明された身体の状態
医師から説明されたけがは、骨盤骨折、股関節脱臼、大腿骨骨折、全身打撲だった。
入院は3か月ほどになるという。
後遺障害が多少残る可能性もあるが、どこまで回復するかは手術後の経過を見なければ分からない。
「いずれ良くなる」
そうした説明も受けた。
しかし、私が知りたかったのは、どこまで良くなるのかということだった。
また歩けるのか。
仕事ができる身体に戻るのか。
その答えは、まだ分からなかった。
約12時間に及んだ大手術
大きな手術になるとは聞いていた。
私は、かなり怖かった。
手術が必要なことは分かっていた。
それでも、怖いものは怖かった。
そして手術を受けた。
手術後の記憶には、はっきりしている部分と曖昧な部分がある。
その一つが、口の中に管が詰まっているように感じたことだった。
息ができない。
そう感じた。
実際に呼吸ができなかったのか、麻酔から目覚める途中でそう感じただけなのかは、今も分からない。
ただ、その感覚は記憶に残っている。
後になって、妻から言われた。
「12時間もかかったよ。よく頑張ったね。」
私は、その言葉で初めて手術の長さを知った。
私も妻も、そこまで長い手術になるとは予想していなかった。
手術が終わっても、事故は終わらなかった
手術が終わった。
しかし、それで苦痛が終わったわけではなかった。
術後も強い痛みがあり、身体は自由に動かなかった。
そして私は、自分の身体を通して考えるようになった。
もう、以前の身体には戻れないのではないか。
誰かにそう告げられたわけではない。
自分自身が、そう感じたのだった。
命は助かった。
大きな手術も終わった。
けれど、元の生活に戻れるのかどうかは分からない。
私にとって、交通事故の本当の大変さは、事故当日だけでは終わらなかった。

コメント