「歩くことさえ、当たり前ではなくなった。」
大きな手術が終わった。
しかし、それで身体が元に戻ったわけではなかった。
交通事故で骨盤や大腿骨を骨折し、股関節も脱臼した私は、手術後も思うように身体を動かせなかった。
これからリハビリが始まる。
そして、いつか退院する。
当たり前のように考えていた「起きる」「座る」「歩く」という動作が、こんなにも大変なことになるとは思っていなかった。
身体を起こすことさえできなかった
手術後、私は何日も高熱と悪寒に苦しんだ。
ようやくそれが落ち着いてきたころ、身体を起こす練習が始まった。
最初は電動ベッドを使った。
背もたれをゆっくり上げていく。
それだけで気分が悪くなり、頭も痛くなった。
事故前なら、朝になれば普通に起き上がっていた。
しかし、その当たり前の動作ができない。
立つことも、歩くことも、その前に身体を起こすことさえ難しかった。
それが手術後の私の現実だった。
「大丈夫」と言ったけれど
リハビリが始まって間もないころ、同僚が見舞いに来てくれた。
私は、せっかく来てくれた同僚にきちんと対応したくて、無理をして車椅子に移った。
ところが、しばらくすると頭痛と吐き気が始まった。
「顔が青くなっているよ」
そう言われた。
ベッドに戻りたかった。
しかし、身体が痛くて車椅子から下りられない。
呼び出しボタンにも手が届かなかった。
それでも私は、同僚に「大丈夫」と言って帰ってもらった。
本当は、まったく大丈夫ではなかった。
幸い、たまたま通りかかったリハビリの先生が介助してくれた。
ようやくベッドに戻れたときは、本当に助かったと思った。
自分の身体がどこまで動くのか。
私は、まだそれさえ十分に分かっていなかった。
機械に膝を曲げてもらう毎日
リハビリでは、膝を曲げるための機械を使った。
事故で大腿骨を骨折し、長い間動かせなかった膝は、手術が終わっても簡単には曲がらなかった。
機械を使って少しずつ曲げていく。
当然、痛かった。
リハビリの先生が膝や股関節を動かして、可動域を広げる訓練も受けた。
これもつらかった。
それでも私は、もっと曲がるのではないかと思い、無茶をしたこともあった。
少しでも元の身体に近づきたかったからだ。
しかし、動かしたいと思っても、身体は思うようには動かない。
毎日のリハビリは、その繰り返しだった。
「もう病人ではないよ」
入院していた整形外科病棟では、看護師たちがよくこんな言葉を口にしていた。
「鉄は熱いうちに打て」
身体を動かすことや、リハビリに取り組むことを強く促されていた。
あるとき、看護師から言われた。
「もう病人ではないよ」
そんな訳ないやろ。
私はそう思った。
膝は曲がらない。
股関節も思うように動かない。
身体を動かすたびに痛みがある。
回復へ向けて身体を動かさなければならないことは分かっていた。
しかし、痛みがなくなったわけではなかった。
医療者にとっては治療の段階が進んだということだったのかもしれない。
それでも、患者である私には、簡単に気持ちを切り替えられるものではなかった。
それでも、早く家に帰りたかった
入院生活は長かった。
妻は毎日のように病院へ来てくれた。
おかずや着替え、タオルケットを持ってきてくれた。
妻はパートの仕事をしながら、二人の子どもたちの生活も支えていた。
私は病院にいて、仕事をすることができなかった。
身体のことだけではなく、これからの生活費や仕事についても考えなければならなかった。
病室から妻と電話で喧嘩したこともあった。
それでも、早く家に帰りたかった。
妻がいる。
子どもたちがいる。
そして、退院したら仕事を始めなければならない。
病院の外には、私の生活が待っていた。
やっと帰ってこれた
ようやく退院の日が来た。
妻が車で迎えに来てくれた。
その車に乗り、自宅へ帰った。
やっと帰ってこれた。
家に着いたとき、ほっとしたことを覚えている。
しかし、身体は元に戻っていなかった。
膝は曲がりにくい。
股関節も思うように動かない。
痛みも残っていた。
退院できたことと、以前のように生活できることは、まったく別の話だった。
家に帰って初めて分かった不自由さ
自宅に戻ると、それまで気にならなかったことが大きな問題になった。
まず、トイレが狭かった。
膝が曲がりにくいため、便器に座ることさえ簡単ではなかった。
寝室は二階にあった。
階段の手すりにつかまりながら、ゆっくり上らなければならなかった。
浴槽にも入れなかった。
そのため、立ったままシャワーを浴びていた。
家が変わったわけではない。
変わったのは、私の身体だった。
退院してもリハビリは続いた
退院後も、病院へ通ってリハビリを続けた。
通院には病院の送迎バスを利用していた。
しかし、バス停までは自分で歩かなければならない。
私は杖をついて歩いていた。
膝も股関節も思うように動かない身体で、バス停まで歩く。
病院でリハビリを受け、また家に帰る。
退院したからといって、治療が終わったわけではなかった。
退院とは、事故前の生活に戻ることではなかった。
不自由な身体のまま、自分で生活を続けていくことだった。
そして私は、その身体で家族と暮らし、仕事をどうしていくのかを考え始めていた。

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